ソレイユニュース 2019年3月号
先日ラジオを聞いていたら、佐藤愛子さんのインタビューが流れてきました。
佐藤さん、亥年生まれということですから、今年で御歳96歳。昨年、新作を上梓したばかり、現役バリバリの人気作家です。
彼女の歯に衣着せぬ物言いは、人生相談にせよ、エッセイにせよ、全くもって筋が通っていて、これぞ正論、というかんじ。確固たる信念に裏打ちされた強さに惹かれます。
これは、壮絶で人情味溢れるこれまでの人生経験によるものだということが、ノンフィクションばかりの彼女の小説を読むと納得。
佐藤さんは、大作家佐藤紅緑と女優の母との間に生まれ、何不自由ない娘時代を過ごした後、2度の結婚(1度目の夫はヒロポン中毒)。2度目の夫の借金を、法的に何の責任もないのに引き受け、筆一本で離婚後何十年もの間返済を続け、50代まで掛かって完済。
これだけでも凄いのに、50代に建てた別荘の霊障に苦しめられ、20年掛かってそれを鎮め(佐藤家の先祖が関わるアイヌ民族や屯田兵等の、とてつもない霊障で、想像を絶するものです。詳しくは『私の遺言』をお読みください。ちょっと怖い本です。)
70代になってようやく自分の時間を自分のために使えるようになり、『血脈』『晩鐘』などの大作をものしたほか、『老い力』『九十才何がめでたい』等のエッセイがベストセラーになるほど、老いて益々盛ん、筆の勢いは衰えません。今回のインタビューの中で、佐藤女史の、しみじみと心に響く言葉を聞くことができたのでご紹介しましょう。
*近頃は、プロ野球選手の契約金はいくら、年俸はいくら等お金の話ばかり聞くが、明治生まれの私の父は、カネカネというヤツは録な者はいないと、よく言っていた。
*儲かった(得したという意味)損したというような下等な言葉を使ってはいかん、と父が言っていた。
*松下幸之助さんは、若いときの貧しさから始まって、努力と我慢の時代があり、立派な人になったという道のりが見えたものだが、今は何だか職業のわからない人がお金持ちになる経済の仕組みのようで、どんな努力をしたか、どんな苦闘をしてきたか見えなくなっているのは嘆かわしい。
*今は、全てが損得になり、物質的なことばかり考え、精神世界が蔑ろ(ないがしろ)になっているのは嘆かわしい。(嘆きが続きます❗)
*精神的なこと(例えば死後の世界)について人々は考えることをしない。死んだら無になるわけではない。苦労を越えることで人としての波動や精神性が高まるのだから、苦労して人間性を磨いて生きるのが基本。
*決まったルートを選ばせて安泰に安泰にと親は子供に望むし、安泰は幸福と思っている。しかし貧乏になればそれなりの力が沸いてくるもの。苦しい経験をするまいとするから貧乏は怖いので、やってみたら然程(さほど)じゃないということがわかる。今は、経験の量が少なすぎる。
*青山の児童相談所の問題など、自分が損をするから反対するという発想は、昭和の中頃まで日本にはなかった。そんなことを口にするのも恥ずかしいのに、これを非難する人もいないのは、人間として恥ずかしい。
じ〜んと心に沁みます。特に、苦労をしなさい、という言葉。ともすれば楽に生きたいと願う私の目を覚醒させてくれます。
誰のためでもない、人としての波動を高めるために、頑張らなくっちゃ、と改めて思わせてくれる有難い教えです。
*写真は、掲載内容と関係ありません。月が美しかった夜空の光景です。