ソレイユニュース 2022年2月号
高峰秀子氏は、その優れた鑑識眼をもって骨董店を経営したり、エッセイストとしても数々の名文をものにしたり等、多方面で活躍した女優さんです。
5歳で映画に子役デビューし、31歳で結婚するまで映画出演のオファーが途切れなかったため、小学校にも殆ど通えなかったほどの人気ぶりでした。
これまで、高峰氏の著書は全て読み、養女の斎藤明美氏によって書かれた高峰氏に関する書籍や、夫君松山善三氏のエッセイを読破している私は、かなりの高峰ファンと自認。
高峰氏の人生は、『わたしの渡世日記上・下巻』に詳しいく書いてあります(この本は、戦後日本映画史の貴重な資料です❗)。
人気女優なので当然といっては当然なのだけれど、交際する人々が多岐に亘り、揃いも揃って超一流なことには驚かされます。
映画関係者でいうと、小津安二郎、黒澤明、木下惠介などの、もはや歴史に名を残す名監督たち(黒澤明とは助監督時代の交流)の作品に多数出演。
声楽は長門美保に習い、絵画は梅原龍三郎を師とし、映画『細雪』に出演した際には、谷崎潤一郎宅で、奥様に可愛がられて娘のように暮らしたり(谷崎氏は『細雪』を地でいく暮らしぶりだったと語り継がれていますが、その暮らしを高峰氏は見ていたということです❗)、広辞苑を編纂した新村 出氏は、“デコちゃん(高峰氏の愛称)”の大ファンで(実寸大のナショナルCMのデコちゃんパネルが玄関に置いてあるくらい❗)…。パリ遊学時代には、画家 藤田嗣治と交流を持ち、絵をプレゼントされるなど、絵に描いたような交友録。
戦後、全盛を極めた映画界は、音楽も贅沢で、團 伊玖磨氏、黛敏郎氏、芥川也寸志氏等々、当時の俊英作曲家たちの牙城でした。
私が小学生の時に読み始めた團氏のエッセイ『パイプのけむり』の中で、頻繁に登場することから高峰氏を知り、『わたしの渡世日記』に辿り着いたくらい、團氏のエッセイには高峰氏が頻繁に登場します。(余談ですが、『東京物語』や『秋刀魚の味』『浮雲などの作品』で知られる世界の巨匠小津安二郎監督の映画音楽は、チェロの斎藤章一先生のご尊父、斎藤高順氏が作曲されました❗)。
ファンに追いかけられて逃げ込んだ青山の骨董店での店主(中島誠之助氏のご尊父)との出会いから骨董の勉強を始め、前述したような識別眼が養われたりなど、高峰氏はエピソードに事欠きません。
時代を創った人物たちとの交流と、勉強したい❗という欲求から始まった読書の習慣により、高峰秀子という、美意識の高い、鑑識眼を持った人物が育まれた、ということがわかります。
氏のエッセイの中で、「本物を見ておけば偽物はわかるよ」と言われたので、本物だけ見るようにした、との記述がありますが、結局、その方法が習得の近道なのでしょう。
音楽にしても美術にしても同じこと。
良いものを見たり聴いたりしていれば、良いものがわかるようになる、本物の技を身につけたいと思ったときに、本物を知っていればそれに向かって近づいて行き易くなる。
優れた演奏家のコンサートが催される時、生徒の皆さんに、聴きに行くようにアドヴァイスします。
2時間という短い時間であっても、“百聞は一見にしかず”、一生の宝物になることがあるからです。
中学時代に連れていってもらった(妹は小学生でした!)カラヤン&ベルリンフィルの初来日公演、ウィーン国立歌劇場 初来日公演の『サロメ』、スカラ座 初来日公演の『セビリアの理髪師』の衝撃は今でも忘れません。
高峰氏とは比べるべくもないですが、母が私たちに与えてくれた浴びるような“本物体験”が、今の私の生きる糧になっています。