ソレイユニュース 2025年6月号
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《歴史的建造物で聴くバッハⅠ〜近藤伸子ピアノリサイタル〜》に行ってきました。
近藤伸子先生は、東京藝大大学院を休学しベルリン藝大を卒業された後、ソレイユ講師として数年間教えに来てくださったことがあり、30年以上の長いお付き合いとなります。
近藤先生はシュナーベルコンクール、ブゾーニコンクールなどの著名なピアノコンクールに入賞された後、シュトックハウゼンのピアノ曲による研究で博士号を取得、国立音楽大学で長く教授職を務められました。高良芳枝先生直伝のピアノ奏法を究められ、細やかな音色へのアプローチ術は、追随を許さない特別なものです。
博士号取得のための論文がシュトックハウゼンということもあり、シュトックハウゼン、シェーンベルク、ベルク、メシアンなどの20世紀ピアノ作品の演奏は専門中の専門で、昨年のシェーンベルク生誕150年を記念して行われたリサイタルでは面目躍如。無調から12音技法に至る20世紀のピアノ曲の変遷を、《トリスタンとイゾルデより前奏曲》ワーグナー=コチシュ作曲にはじまり、シェーンベルク初期の《3つのピアノ曲》、12音技法を用いた《ピアノ組曲》、12音音列に熟達した《ナポレオンのオード》まで、弟子のベルクのソナタなどを織り交ぜながら披露してくださいました。プログラム構成も各曲へのアプローチも秀逸。記念碑的リサイタルでした。
プログラムノートがまた奥深く、ピアニストであり音楽学者である近藤先生の論考は、楽曲(和声)分析、歴史、文学、奏法など多岐に亘るけれども、決して読み難いことはなく、お人柄も垣間見える表現も含め、読み物としても一流です。
ドイツ語の語りのようだったバリトンとピアノ五重奏曲で演奏された《ナポレオンへのオード》は、滅多に聴くことができない歴史的演奏。あのコンサートに行かなかったら一生聴くことはなかったであろう稀有な曲が、達人たちによって具現化された一夜でした。
20世紀ピアノ作品に集約したリサイタルは、近藤先生のライフワークのひとつとしてこれまで9回行われていますが、10年程前、国立音大長期国外研究員として1年間ベルリンに留学された後、ベートーヴェンソナタ全曲シリーズが始まりました。こちらも回を重ねること7回、既に22曲終了しています。
近藤先生の白眉は何といってもバッハ。バッハ鍵盤楽器曲全曲演奏を17年掛けて成し遂げました。ゴールドベルク変奏曲に始まり、平均律第Ⅰ巻、第Ⅱ巻、パルティータ、イタリア協奏曲、イギリス組曲、フランス組曲、半音階的幻想曲とフーガ、フーガの技法ほか。
今回の《歴史的建造で聴くバッハⅠ》では、2015年に演奏された《フーガの技法》を旧奏楽堂で弾くという企画でした。未完成作品ということもあり、なかなか演奏されることがない《フーガの技法》、ピアニストに訊くと曲として形にすることが大変難しい曲なのだそうで、それを見事な表現で飽きることなく聴かせてくださる手腕に脱帽。
大雨で靴はぐちゃぐちゃ、服はびしょびしょの大変な状態の日でしたが、旧奏楽堂はファンでいっぱい。派手な宣伝はしないけれども、近藤先生のピアノは、人々を魅了して止まないのです。
《フーガの技法》、《音楽の捧げもの〜シェーンベルク全ピアノ作品〜》、《トッカータ7曲》ほか、『レコード芸術』特選盤に選ばれたCDも多数発売されています。
本物中の本物、バッハ全曲、20世紀のピアノ曲、ベートーヴェンソナタ全曲の3本柱を、あの高度な水準で演奏する近藤伸子(敬称略❗)の凄さを是非、皆様体験してください。
一人の人間の一生で、これ程のことを成し遂げることができるのだというお手本を、現世で見聞できるまたとないチャンスです。