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名川太郎先生逝く

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名川太郎先生がお亡くなりになったそうです。

 

NHKテレビ・ラジオ体操のピアニストになってからも、当教室の作曲・ソルフェージュ講師として20年近く国立市から毎週通ってきてくださっていました。

 

テレビ・ラジオ体操で全国を巡りながら、北陸の岩牡蠣、沖縄のマンゴー、熊本の鬣(たてがみ)の脂とともに食す馬刺しなど、関東にいては滅多に口に入れられない貴重な食材を入手しては、嬉しそうにその美味しさを語ってくれた名川先生。

 

その自慢を聞くのが楽しみでした。

 

東京藝大作曲科出身でしたが、ピアノの名手で、音色が美しく、テレビ・ラジオ体操では、名川先生のピアノの音色のファンは多かったと聞きます。

 

アレンジャーとしてのセンスも抜群でした。

 

本やCDの所蔵量は凄まじく(2,000冊もの本を刑務所に寄贈したことがある、と言っていました❗)、文字通り博識な方でした。

 

いつも怠け者のフリをしていましたが、能力が高い方なのは、お話するとすぐわかり、ユーモアに溢れ、いつも周りの人を笑わせていました。

 

照れ屋で無愛想でしたが、子供たちには何故か大人気でした。

 

きらきら星が両手で弾けるようになった3歳児に、お洒落な伴奏を付け、半音ずつ移調していき、全調での連弾を聴いた時には震えました(3歳児にそんな芸を仕込んだことも驚きでした❗)。

 

数年前、脳出血で倒れたと聞いた時に一度お声を聞くことができましたが、その後連絡が取れなくなり、コロナ明けに、以前から約束していた、名川先生ご贔屓の国立市にある美味しい天麩羅屋さんに一緒に行こうと思っていた矢先の訃報。

 

20年近く毎週お会いし、夜中まで皆で語り合い笑いあったあの楽しい時は戻らないと思うと、悲しくて仕方がありません(あの頃、作曲の先生方は、夜中に帰宅し、夜中仕事をして、お昼頃起床するという生活をしていたようです)。

 

会いたい人には会っておかないと今世で会えなくなってしまうことがあるのだ―――、名川先生の訃報は悲しい教訓となりました。

 

才能ある方を亡くした悲しみは計り知れません。

 

ご冥福を心からお祈り申し上げます。

 

 

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